チームワークとコミュニケーションと周りがバカに見えてしまう時

投稿者: | 2020年4月17日
アフィリエイトASPのマネートラック

最近、自分の理解・認識と、周りの空気・相手の思考回路とのギャップを感じることがよくある。
特に在宅勤務でリモート会議が増えてきているので、音声と資料だけでメッセージを伝えるということの難しさを日々感じる。
私は気持ちを共有するコミュニケーションが多めで擬音や比喩を多用したりボディランゲージ多めの会議で生きてきたので、メッセージ(言いたいこと、お願いしたいことの主旨)が伝わらないと感じることが多くなってきている。
リモート会議では表現方法(言葉や資料の書き方、首から上だけのボディランゲージ)を意識して変えていかないといけないなぁと、自己反省と日々精進である。ま、こんなことをキャンプをしながら考えているのである。

とはいえ、こういった変化に気付いていない、気付かない人が多いことも浮き彫りになっていると痛切に感じる。私自身は世代や年齢であまりレッテルを貼ることは避けるように心掛けてるつもりだし、皆がそうだと言うつもりは毛頭ないが40代後半以上の人に多いと感じる。
チャットツールに意味のわからない文章を書いて、じっと返事を待ち、返事がないと電話かけてくる人や、ToDo管理の(所謂カンバン)ツールをグループウェアのように使ったり、クラウドドライブにフォルダも切らずにファイルをポンポン入れてしまったり。
しかしこれならまだ良い方で、デジタルトランスフォーメーションだ!とか言っちゃう意識高い系のバカ管理職ほどめんどくさいものはない。
・「重要連絡」などという、チャネルを作ってイイねで閲覧確認をさせたり
・業務指示ごとにグループやチャネルを作って乱立させたり
・乱立したチームごとに閲覧権のセキュリティを掛け始めたり
・チャットで業務を「適当な文章」で指示したり、その指示を後で編集したり
これでコミュニケーションが密になり、生産性が向上されると考えてるバカがマジでいる。

そしてこういう意識高い系の人に共通するのは、イイねの強要(閲覧確認)だ。
しかも、見ていないと怒る。「なぜ見てないのだ!?こんな基本的なことも出来ないのか?こんなしょうもないことに俺の時間を使わせるな!」と怒る。

こういうことが起こった時に、私は「情報の発信量と受信量の全量を捉えてください」と言う。私自身も昔、猛烈に反省したことがあったので。
管理職は発信する側なので、Webコミュニケーションツールで便利に発信が出来たら、発信量が気付かぬうちに増えてないか?部下は受信する側なので、受け取る量が増えていないか?受け取る文章のわかりやすさ品質は下がっていないか?通常の仕事の量も就業時間も変わっておらず、受信情報メッセージの量は増えているのに「基本的なことも出来ないのか!?」とストレスを溜めないでください。と反論してみる。
受信側は、直属上司以外にも、取引先、人事、経理、総務、毎日の体調チェックなどなど、他の部署からの情報の受信量にも変化はないのだから。

で、こんなこと言うと大体怒られる。社会人の基本だの、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は当たり前だ。とか。
中高生が、SNSで未読スルー、既読スルーでいじめに発展してしまうカラクリがコロナのおかげで中高年にまで伝播したのかと思うとゾッとする。

おかしいのは私?

翻って、私の世代(30代)もこの事実に気付いていない人が多い。
上司からチャットが来るから、とスマホにかじりついてるやつもいるし、同じ行為をチームメンバーにやっちゃってる人もいる。

ここまで来ると、私がおかしいのか?私が悪いのか?と思ってしまう。。。
これが、今日の主旨。

周りがバカに見えてしまう自分に腹が立つ。お前がナンボのもんなんだと。
でも自分は自分の考えを論理的に分析して、わかりやすいように伝える努力をして、評判を頂くことも多い。

コミュニケーションに限らず、私は変化に合わせて努力しているつもり。
現状認識と問題抽出、課題形成と改善・工夫。PDCAと言っていいかわからないけど、この行動が伴ってない奴が社会人の基本とか唱えちゃうとバカだなぁ、としか思えない。
そして、なんとなくこう感じている人って私だけじゃないと思う。

この事実について、自分なりに考えてみることにした。

現状と問題

あくまで勝手な考察だが、「周りの人間がバカに見える、バカだとしか思えない」自分と、それに腹が立つ自分を客観的に見ると

  1. 私がバカで自分に問題があるケース
  2. 実際に周りがバカなケース

くらいのモンだと定義する。

自分が周りに対してバカだなぁと思ってしまうストレスを感じた瞬間に、まず「自分は間違ってないか?」と考えることが大切だと気付いた。
決め付けで話したり、自分の考えに固執したり、自分は間違っていないと確信する人が、このケースにハマり込んでしまう。
これは、上司が部下に「社会人の基本も出来ないなんてバカか?」と感じた時にも是非実践して欲しい。

むしろこれこそが、主体性という名の社会人の基本なんじゃなかろうか。
上手く行かない時に、その原因が自分自身以外にあると短絡的に考えてしまう人を、私はバカと感じているような気がする。

私は上手くいかないことがあると、自分が伝えたことは何か?自分の伝え方に問題は無かったか?相手にはどのように伝わっているか?無理なことを頼んでしまっていないか?を確認することを心掛けている。これで大分ストレスは減る。

一方で、人に適当な言葉で物事を頼んでおきながら朝令暮改を繰り返し、出来てないことの原因を常に他人に探している人はなんだかいつもイライラしている印象がある。
そしてそういう人は、生産的な活動や、後に残る知識(文書)の作成が見当たらない。平たく言うと、学ぶことがない先輩とか、あの人みたいになりたくない、と感じてしまう傾向にある。
一時的な推進力はあっても、後で発覚する重大な問題や、トラブルが絶えないことも多いし、そんな人の部下であると苦労もストレスも絶えない。

まず周りがバカに見えた時は、自分自身に問題はないかと疑い探す癖をつけた方が良さそうだ。

なぜ、人はバカなことに気付けないのか。

自分はまず、自分自身に問題はないかと考える癖をつけたとして客観的に自分を見つめられるのか、問題は無いと言い聞かせていないか?という不安も残る。
そして、自分に問題がないのか!?と周りに強要してしまっては本末転倒だ。

なぜ、人はバカなことに気付けないのか。と考えてみる。

そういえば昔受けたセミナーで、人の脳には「認知バイアス」っていう現実を正しく認識することを邪魔する習性があると聞いたことがある。
コロナが蔓延していて、客観的事実として感染者数がウナギ昇りなのに、自分は大丈夫とか思ってしまうようなことだ。

そのセミナーでも言っていたが、思い通りに事が進まないとか、自分の実力を会社で評価してもらえない。とか感じてる人が自分自身を見つめて「自分に原因がある」と結論付けるのは心理的抵抗が高く、プライドが高い人にとってはなお困難だと言っていた。
自分がダメだと認めること(自己否定)はプライドが高い人ほど、困難だ。
そういう時に認知バイアスが働いて「うまくいかないのはアイツが悪い」、「周りがバカだから自分が評価されてない」と解釈してしまうんじゃないかと思う。

こういうことって、珍しくないと思う。自分に言い聞かせてしまう自分に気付かないといけない。

自分の過ちに気付いてしまった時

自分自身を見つめ直した時、「俺が悪かったかなぁ」と少しでも感じたら、それはもう、素直に事実を受け入れる。

他人に謝るかどうかはどうでも良くて、次に繰り返さないために工夫をする。
だって人間だもの。間違うことはある。
やってしまったことを後悔しても仕方ない。失ってしまった友達や好感度はまた取り返すしかない。そのために謝ることが必要なら、謝ればいい。
プライドや体裁は場所が変われば、何にもならないので良いとことも悪いところも含めてありのままの自分を受け入れることでストレスを溜めないことが重要。

本当は実力がないのにプライドで虚勢を張るバカ管理職は、一目瞭然。
むしろもう、バカにしか見えてないから、ここに書いてるわけだし。読んでる訳だろうし。
自分はそうならないように気を付けてほしい。

周りがバカなケース

現状を認識し、自分に問題が無いか論理的に分析し、認知バイアスにも陥ってない場合、本当に周りがバカなんだと思う。それに気づいた人は本当に優秀で貴重な人材と言っていい。

そして、残念なのは、世の中に優秀で貴重な人材は少ないということ。
3:4:3とか2:8:2とか言うけど、組織に100人いたら、20人は優秀で、20人は組織に損害を与える。残り80人は 非生産的なただの従順なバカだという理論がある。

この上位2割と、下位2割が周りがバカに見えてしまう人で上位と下位の違いは、自分に問題があるかどうかを分析出来るかどうかの違いなんだろう。
残りの8割は問題にすら気付かないか、気付いていても行動を起こさない。
そりゃ、周りがバカに見えてしまっても仕方ない。

周りがバカだと気付いてしまった時

これは、もう仕方無いと思う。
ここに気付けた上位の2割はもはや、与える側の役割に立っているのだと思う。仏教でいうと菩薩の領域。エヴァンジェリストになるしかない。

バカにバカだと気付かせて、正しきに導く役割を背負うしかない。
そうしないとストレスが溜まるのだから。
そして本来、こういう人間が管理職になるべきなのだと思う。

そしてストレスを溜めずに導くために必要なのは「自分と他人は違うこと」「他人に自分と同じことをさせることは出来ないこと」を知ることだ。

カーネギーも「過去と人の心は変えられない。変えられるのは自分自身だけだ」と言っている。

人間には好き嫌い、向き不向き、得手不得手がそれぞれにある。
何もしなくても出来る人もいれば、努力が必要な人、いくら頑張っても出来ない人がいる。マジで。
元気があれば何でもできる。努力が成功を連れてくる。なんて嘘だと思う。
まず、自身のマインドに無いことは出来ないし、頑張っても出来ないものは出来ないのだ。

そんな個性の違いを理解せず、自分の考え、体験、経験だけを押し付けて自分と同じようにやれという言うこと自体が間違えてる。
チャットにイイねをすることが会社の利益に繋がる理由とパッションを伝え、共感を得て相手に自発的行動を促すコミュニケーションが必要である。
共感を得られない行為は、きっと無駄な行為なのだろう。

つまり、こう考えよう。
自分よりも劣っている人をバカにする前に、その人材を役に立てる方法を一生懸命考えること、バカを説得出来ないのは自分に原因があること、自己の成長に繋がるんだと思って取り組むこと、最悪、無益なバカとは距離をとること。

はぁ。難しいな。そんなこと出来るのかな。私に。